二児の母親になり、今でも夢を見ているようです。どうもありがとうございました。思えば長い道のりで、この間子供が欲しくてたまらなくて、辛くて「人ってこんなにも驚くほどたくさんの涙が出るものなのか」と思うほど毎日泣いたものでした。しかし、不妊治療を通じて、大切だと気付いたことがあり、大きなものを得ました。1つ目は「自分に必ず赤ちゃんができる」と信じ込むことです。信じていれば、どんどん前向きに考え、行動できるようになるからです。お金も時間も痛みも「自分が一番やりたいことをやっているのだから、辛くない。素晴らしい機会に感謝したい。」と思えるようになるからです。自然に頑張れる心のエネルギーになります。2つ目は、「もし結果的に子供ができなくても、そのことを恐れない」ことです。人生はどこに着いたかではなく、どこに向かって歩いているか、つまり結果ではなく、過程(プロセス)が大切です。結果が思い通りにならなくても、不妊治療に向き合って、夢を目指し歩いてきた道はきっと輝いており、充実していたと感じられると思います。そうすれば自分を肯定でき、人生に勇気と活力を与えてくれる宝になるでしょう。最後に…岡本真夜さんの曲の中で、私のお気に入りのフレーズです。“信じる力ほど強いものはなくて、頑張っている人に天使は舞い降りる”
2008.12.16
結婚13年目を経過して、主人から真剣に「子供が欲しい」と言われたときには正直戸惑いを覚えました。私自身41歳という年齢から、子供よりも老後へとシフトしていましたから…。しかし、2人で話し合いこの1年間だけという期限を設けての不妊治療を開始しました。会社帰りの注射の為の病院通いや、土曜日毎の診察等、精神的にも体力的にもそのときが一番辛かったと思います。妊娠が分かった時は本当に知らぬ間に涙が出ていました。妊娠6ヶ月からは切迫早産で入院したりしましたが、無事双子の宝物が我が家にやってきました。
41歳の私が母親になれたのも、先生方や看護師さん方のおかげと本当に感謝しています。
2008.12.16
私は、H19.9頃、初めてIVFの方を受診し、11月に妊娠が分かりました。それまでは近くの産婦人科の不妊治療に通っていましたが、妊娠されているお母さんの姿を見るのが辛くなり、「不妊治療に専念しよう!」「今は子供を授かるBESTな状態を何より大切にしよう!」と決心して、IVFに通うことにしました。結局、最初の検査をし、結果を聞きに行った時には妊娠してました。ちょうどその頃に20年3月末で仕事を辞めることを決め、ほっとしたのもあったのか…仕事をしながら病院に通えるのかどうか?という不安から開放されてか…本当に突然のことで驚きました。妊娠してからは、わりと順調で…5ヶ月目以降は仕事で無理しすぎて、お腹がはったりもしましたが、赤ちゃんは元気に育ち、H20.6.25に無事出産しました。47時間半もかかっての出産でしたが、子供の姿を見れたときには本当に感動しました。欲しいと思ってやっとできた赤ちゃん。周りの人たちもたくさん応援してくれていたこともあり、何人もの人たちが涙しながら一緒に喜んでくれました。不妊治療に通うまでは「子供ができること」がとても簡単なことのように思えていましたが、実際になかなか子供ができず焦った後の妊娠は、命の尊さを教えてくれました。本当に子供が欲しいと思う家庭に赤ちゃんが授かることを心から願います。事版未 ならない不安を感じておられると思いますが、子供を授かり産まれた時の喜びを思い描いて、皆さんが笑顔で出産できることを願ってます。私はカウンセリングでも、とってもラクになりました。ありがとうございました。
2008.12.16
子育てに追われ、なかなか書類を送れず申し訳ありません。
去年7月に無事男の子を出産し、1歳の誕生日も迎えることができました。私たち夫婦は、結婚して3年目に男性不妊が分かりましたが医療治療は受ける気になれず、漢方などは試しながら年月ばかりが過ぎ…どうしても子供をあきらめられず、あるきっかけでIVF大阪クリニックを最後の望みと訪ねたのが、結婚18年目、主人が47才、私が43才のときでした。体外受精で顕微授精でのチャレンジです。私も年齢的にギリギリで主人と相談して「3年間チャレンジしてダメなら子供は諦めよう」とスタートしました。
1回目、採卵はしたけれど子宮筋腫がある為、胚移植できず、まず筋腫の手術をし、受精卵は凍結して、その年の末に1個胚移植しましたが着床せず。その後、2年間で、時間とお金が許される限り、筋腫手術を口実にパート先も辞め、短期集中的なチャレンジだったと思います。十数回チャレンジし、胚移植までいったのは1/3の確率でした。
3年目の夏に、何度やってもダメだし、お金もはじめの予算をオーバーしていて、もうやめようと思いましたが、主人に励まされ、少し休んで11月に最後のチャレンジをしました。
先生が「薬や注射をせず、自然に採卵しましょう」といわれ、自然周期で1個採卵でき、子宮にもどすことができました。12月1日の判定の日、先生に「良かったですね『+』ですよ。神様はいるんだねぇ」といわれ、「まさか!?」と思いました。すっかりマイナス思考で子育てをイメージできなかった私は、思わず「どうしよう!」と言ったのを覚えています。あの日から1年10ヶ月になりますが、子育てに追われながらも「こんな日が来るなんて夢みたい」だと度々思います。
IVF大阪クリニックの先生方をはじめ、スタッフの皆様のお力無くしては今日の幸せはありませんでした。IVF大阪クリニックとのご縁に感謝するばかりです本当にありがとうございました。
通うのに、年齢的に引け目が非常にあったのですが、皆様がいつも変わらずあたたかく優しく接して下さったので、その面でのストレスは全く感じず通い続けることが出来ました。
IVF大阪クリニックに通う間、妊娠のために良い!と続けて行った事は掲示板の手記にあった「グレープフルーツジュースを飲む、納豆を食べる」他には「葉酸のサプリメントを飲む」「散歩をする」です。バランスの良い食事やカフェイン、アルコールを控えることも出来る範囲で行いました。友人にすすめられて1ヶ月に1万円もするサプリメントを飲んでみたりもしましたが、続かず、途中でやめました。最後のチャレンジのときはクリニックの薬類、サプリメントなども飲んでなかったので、後から思えば高価なサプリメントなど飲む必要は無かったかな?…と思います。妊娠中は、ありがたいことにつわりも少なく、とても元気に過ごせました。
最後に、IVF大阪クリニックを訪ねるきっかけとなった、たまたま子宮ガン検診で行った産婦人科の先生のお言葉を!年齢を重ねながら子供を諦められず、くよくよしていた私に、「1度しか無い人生、悔いの無いようにやるだけやってみて、ダメならダメで、また、子供が無いなら無いなりの人生がありますよ」…と。お子さんのいらっしゃらない女医先生のお言葉だからか、胸にズシンときました。
2008.10.09
5月31日に女の子を無事に出産しました。2人目不妊で、初の不妊治療でしたが34歳という年齢もあり、いきなり顕微授精に挑戦しました。治療への不安、薬の副作用、上の子の事…たくさん乗り越えなければならず長く長く感じた治療と不妊生活でしたが家族や周りの方に支えられて今は毎日がとても幸せです。上の子も妹ができたことをとても喜び、そんな姉妹を見ていると嬉しくなり、辛かった治療が遠い昔の事のようでもあり点あの時決断してよかったと心から思います。妊娠中、切迫流産で入院したことも、久しぶりの痛かった陣痛も、命を授かった喜びで全てが大切な思い出です。
この病院と、先生方、カウンセラーの先生に出会えた事に感謝しています。本当にありがとうございました。
2008.10.09
タイミング療法で双子を授かりました。妊娠中も順調だったのですが、33週目の検診で、中毒症のおそれがあるため管理入院を翌日よりするよう言われました。入院当日に赤ちゃんの心音を見ると不安定だったため、急遽帝王切開にて出産となりました。現在は私だけ先に退院し、赤ちゃんはNICUに入院中。毎日搾乳したおっぱいを病院まで届けています。
不妊治療中はわからなかったけれど、治療を受けられている方は身近にたくさんいらっしゃるということ、そして妊娠・出産されている人がたくさんいるということを知りました。そして心強く感じました。IVF大阪の先生方、本当にありがとうございました。
2008.10.09
IVF大阪の先生やスタッフの皆様には、大変お世話になりました。卒業の日におめでとう!と皆様に送り出されたことが懐かしく思い出されます。
通いだして、自然での妊娠が出来ないだろうと分かった時は本当にショックでした。すぐに体外受精をすすめられましたが信じられず人工授精から開始し、顕微授精へと挑戦しても陰性で、夫婦共に精神的に辛くなってしまい、しばらく休む事にしました。その間は二人でできる色んなことをしました。それでもやはり子供が欲しい気持ちに変わりなく、諦めきれず、先生のすすめでIVMにチャレンジすることにしました。すると2回目のIVMで陽性判定を頂くことができました。その時のIVMは色々と条件も悪く移植後も熱を出し、体調を崩してしまい、体温も見事に下がっていたのでびっくりしました。
もう子供は出来ないのではないか、諦めないといけないのではないかと悩んだ日々でしたが妊娠していると分かった時には目の前が本当に輝いて見えました。嬉しくて号泣しながら先生に何度も「本当ですか?」と確認したあの感動は今でも忘れられません。
安定期に入るまでは不安との戦いで出産は超難産だったため、産後までは安心することは出来ませんでしたが、今は本当に元気いっぱいの我が子と出会えてあのとき頑張ってよかったと思っています。ずっと欲しかった気持ちと2人で十分な時間を過ごしたおかげか、育児は毎日楽しく、笑顔でいっぱいです。
本当にありがとうございました。
私たちと同じように悩んでいらっしゃる皆様にも赤ちゃんが授かりますよう願っています。
2008.10.09
2人目不妊で通い始めて、しばらくはタイミング治療をしていました。仕事と治療の両立で何度か挫けそうになりましたが、先生の治療計画を信じて頑張りました。順を追って、タイミング→人工授精→体外受精と進んでいこうと決め、初の人工授精で妊娠する事が出来ました。人工授精当日、院内のお茶会のクリスマスパーティーに参加して、ホットルイボスティーやジャスミンティーを何度もおかわりをしました。体内が暖まるのを感じながら、何となくその後の人工授精が成功するような予感がありました。妊娠中はお腹が張りやすく、ずっと張り止めを服用しましたが無事出産できました。
2008.10.03
私が不妊治療を始めたのは結婚して2年目からで、妊娠まで3年かかりました。3年の間、家の近くの病院で人工授精、体外受精、顕微授精と次々行い、結局1度も妊娠せずに終わりました。IVFは「赤ちゃんが欲しい」で知っていましたが少し遠いのでどうしようかと迷っていた頃、友達がIVFで妊娠したことを知り、詳しく話を聞いた後「やっぱりIVFへ行くしかない!」と決め、片道1時間半車で通いました。不妊原因は結局何か分からずでしたが、1回目の顕微授精(2段階胚移植)で妊娠、34歳で1人目を出産しました(6個の受精卵で3個を2段階で戻し、3個凍結)。そして去年凍結胚移植を1回目1個戻して、妊娠せず、2回目残り2個を戻して36歳妊娠、今年出産しました。私はIVFではスピード妊娠しているのであまり参考になることではありませんが、これから治療する方に是非挫けずに頑張ってもらいたい。応援していることを伝えたいと思い、レポートを書きました。5年間子供のいない生活、気持ち、この経験は何もせず自然に子供に恵まれた人よりずっと人生の中で精神的に強くなれる期間だったと思います。この経験があるからより人の気持ちを考えられたり、一緒に話を聞いて少しでも役に立ちたいと思えるようになりました。仕事をしながらクリニックに通うのは大変だったけど、きっと、絶対子供は授かると信じ、2人も授かる事が出来ました。皆さんも大丈夫です。心よりたくさんの子供が授かりますようお祈りしています。挫けそうになった時、IVFで買ったルイボスティを飲みリラックスしたり、たまには買い物(服とか)思いっきり楽しんだり、パチンコに行ったり。普段は治療費のことが頭にあって、なかなかできないけど、落ち込んだ時は次へのステップのためにお金を使うと、すかっとして気持ちよく、明日への元気パワーが出てきますよ。誰かがどこかできっと応援している!!ということを忘れないで!!1人で頑張るんじゃなくて、応援してくれいている!と思って、IVFに通ってください。
最後に、IVFの技術なら大丈夫です。すごいなあと思うばかりでした。遠くても、もっと早く来たら良かったと思ったほどです。クリニックの皆さん、ありがとうございました。
2008.10.03
私はこの度女児を凍結胚移植で授かり、無事に出産に至りました。痛い思いをして、上手く着床してくれなかった時は「どうして私には赤ちゃんが授からないんだろう・・・」と落ち込み、悲しい思いをしました。今この手紙を読んでらっしゃる方に、あの時の私と同じ思いをしていらっしゃる方がいるかもしれません。本当に辛かった・・・正直妊婦さんや赤ちゃんを連れて歩いている方を見るのが凄く嫌でした。その時、私は掲示板に張ってあったお手紙を読んで励まされ、「もう1度やってみよう」と思えたのです。本当にありがとうございました。IVFクリニックの先生方を信じて諦めずに頑張って下さい。赤ちゃんが授かる事を祈っています。
2008.10.03